結婚式の日が来た。
鏡の前で、僕は、タキシード姿の自分を見ていた。頭には、もちろん、何も乗せていない。隠すものは、もう何もない。
ふと、いろんな場面が、頭をよぎった。
育毛シャンプーが効かなくて落ち込んだ夜。AGAクリニックの初診で緊張した日。マープを試して、限界を感じたこと。給湯室で揶揄われて、逃げ出したあの日。転職して、引っ越して、カツラで新しい人生を始めたこと。あなたに会って、訳もわからず地毛が欲しくなって、手術台に乗ったこと。電話占いに、二度も縋ったこと。
全部、遠回りだった。でも、その遠回りの一歩一歩が、まっすぐ、今日に繋がっていた。
控室に、ナデシコさんが入ってきた。ウェディングドレス姿の彼女は、僕の顔を見て、目を潤ませて——そして、やっぱり、ぴしっと敬礼した。「丸さん。今日から、よろしくお願いします!」。
僕も、敬礼を返した。不格好だったと思う。でも、二人で笑った。
iPS細胞の治療を待つために、僕はコツコツお金を貯めていた。あの頃は、それが遠い夢への、唯一の希望だった。
でも、今は思う。夢の治療を待たなくても、僕は、もう十分しあわせだ。これからは、髪のためじゃなく、この人と生きていくために、生きていく。
薄毛丸幸太郎の、薄毛をめぐる長い物語は、ここで一区切りだ。
——読んでくれて、ありがとう。遠回りばかりの男の話に、最後まで付き合ってくれて、本当に、ありがとう。