新天地の職場に、新しい人が入ってきた。中途採用の女性で、僕がその教育係を任されることになった。
名前は、桜丸ナデシコさん。28歳。初日の自己紹介で、彼女はいきなり場の空気を持っていった。
「前職は、女性自衛官です!」——背筋をぴんと伸ばして、はきはきと言った。会議室が一瞬しんとして、それからどっと和んだ。
続けて彼女はこう言った。「腰を痛めて自衛隊を辞めたんですが、腰痛の再発が怖いんです。ちょっとしたことで、ぎっくり腰が起きてもおかしくない。まるで腰に爆弾を抱えている状態——あ、でも、手榴弾を腰にぶら下げてるわけじゃないですよ!」
そして自分で、「アハハハ、そのまんまですね!」と笑った。つかみどころのない人だ、というのが第一印象だった。
自己紹介の最後に、彼女はさらっと言い足した。「ちなみに私、バツイチで、子供はいません。隠すことでもないので、先に言っておきますね」。ここまで忌憚なく言える人を、僕は初めて見た。
今度は、僕が教育係として名乗る番だった。「薄毛丸(うすげまる)幸太郎、といいます」。我ながら、薄毛に悩む男が名乗るには、なかなかに皮肉な名字である。
案の定、少し言いにくそうにする彼女に、僕は先回りして言った。「呼びにくいので、『丸さん』で大丈夫です」。ナデシコさんは、ぴっと背筋を伸ばして、「はい、了解です! 丸さん!」と笑った。調子は狂うけれど、悪い気はしなかった。
教育係として、その日は一日、業務の流れを説明して回った。彼女は飲み込みが早く、メモの取り方も的確で、元自衛官というのは伊達じゃないと思った。
少し困ったのは、彼女が時々、自衛隊の癖で敬礼してくることだった。「すみません、つい出ちゃうんです」と笑うのだが、こっちは調子が狂う。
そして、退勤のときだった。
僕が先に帰ろうとすると、彼女は立ち上がって、ぴしっと敬礼して言った。「お疲れ様でした!」
——なんというか、不意打ちだった。あの笑顔と、あの「お疲れ様でした!」を、まっすぐ向けられて、僕の心は、情けないくらい簡単に、ぐらっと動いた。
帰りの電車で、僕は自分に突っ込んだ。何を浮かれているんだ。僕は30代で、頭にはカツラを乗せている男だぞ。
でも、ブレーキをかけようとするほど、彼女の「お疲れ様でした!」が、頭の中で繰り返し再生された。
まずいな、と思った。これはたぶん、まずいやつだ。次の話に続く。